東大駒場カルチャーレポート2017 授業開講まで 

 

以下、2017年度に「比較文化論」を開講するまでのことを少し。

 今から8年前の2009年度、東大教養学部・教養学科に比較日本文化論(通称「比日」)コースがあった時、今は現代思想コースの開講科目になっている「現代文化構造論基礎」を担当したことがあった。その後、比較日本文化論コースから故門脇俊介さんが哲学関連のコース(現現代思想コース)を分離独立させ、それが引き金となって、教養学部教養学科内のコースが再編成され、比較日本文化論コースはなくなって、比較文学比較芸術、現代思想、学際日本文化という新しいコースが生まれた(と少なくとも私は理解している)。

 私の理解では、元来「現代文化構造論基礎」という科目は、門脇さんが比日のコース主任(かカリキュラム改革チームの責任者だったか)の時新たに設置した科目で、哲学や思想研究の科目だった。だから今も現代思想コースの科目なのだが、その科目を「比日」時代に私は二度担当した。文学が専門とされている私が担当したのは、今から見ると不思議かもしれないが、おそらく当時、比日の哲学思想関係の先生が次々と病に倒れたことが影響していたのではないかと思う。このころ、門脇さんのあと、北川東子さん、岡部雄三さんが闘病生活の後亡くなっている。そういう時に、純粋文学だけではなく、思想や美学、歴史、社会等もやや中途半端に巻き込みながら近現代中国文学を研究している私が、その穴埋めをしたという形だったのだと思う。

 哲学的なことはもちろん思想研究の基礎も教えられない私は、苦肉の策で、「構造」や「基礎」をすっ飛ばして、「現代文化」にだけフォーカスして授業を行なった。一度目は、岩渕功一『トランスナショナル・ジャパン:アジアをつなぐポピュラー文化』(岩波書店、2001年)を輪読した。台湾や中国大陸で日本の流行文化がどのような社会背景のもとに、受容され、現地化されたかに論及していたからである。その時の期末レポートとして、ノベルゲームについてまとめた受講生がいた。それは、当時(2009年度)まったく私が知らなかった事象だったが、現代社会における「物語」を論じる上で、これは欠かせない重要な形式だと感じた。たいへん啓発を受けたので、そのあとも、研究室の行事でいっしょになるたびに、彼とはその手の新興カルチャーについて語り合った。(といっても、ほとんど私が彼の話を聞き、質問し、そして彼がその答えをボソボソと言う、というのが毎度のパターンだったが。)

 その後、二度目の科目担当になった時(2011年度)は、ノベルゲームなども「現代文化」の重要な一部だと認識していたし、幼いころに親しんだ(あるいは耽溺した)サブカルチャーも、個々人にとっては、基礎的な文化的バックグラウンドと言えるのではないかと思うようになっていたので、学生個々人にそれぞれのサブカルチャー体験を発表してもらう、という授業を思い切ってやってみたのである。

レポート全文

https://www.dropbox.com/s/9j9xyyzgbceodao/culture_report_2017.pdf?dl=0