武田泰淳の戦前戦中(大学院/2019年度秋冬:Aセメスター)

 武田泰淳(1912−1976)は日本文学史上戦後派の作家として知られています。戦後派の作家として彼がユニークなのは、彼の知的背景に中国文学が根深く入り込んでいることです。日中文学交流史上、彼ほど深く近現代中国文学を理解した作家はいません。自分の作品に中国文学の痕跡をあれほど深く広く残している日本の作家もいません。

 彼はどうやって作家として出発したのでしょうか? また。彼にとっての中国文学、あるいは中国とはどのような意味を持っていたのでしょうか?

 「記憶の澱」というドキュメンタリー番組(山口放送・佐々木聰制作/語り:樹木希林/55分)があります。この1時間程度の番組がすごい。見ていない人は是非見て欲しいと思います。(ただし神経の細い人には見るのがつらいかもしれません)。初放映は2017年12月3日ですが、私は確か2018年の8月頃のBSの再放送で見ました。

  終戦直後の満州で共同体を守るために自分の体を犠牲に供した亡姉を思い返してハラハラと泣く老女の姿、命令を受けて戦車にほぼ素手で向かい次々と死んでいった戦友たちのことをふり絞るようにして話す老人の慟哭、また、虐待されながらも必死になって抱いていた赤ん坊を谷底に投げ捨てられた中国の若い母親が自らも谷底に身を投げるのを只見過ごすだけだったとボソボソと話す元日本軍兵士の話・・・

 それらに、私は心の奥底が揺さぶられました。武田泰淳が作家として出発したのは多くの人々がそんな状況に置かれていたころでした。武田泰淳は1937年盧溝橋事変が起こってすぐ一兵卒として華中に送られ2年後除隊、武田の長編評伝を書いた川西政明はその時に作家武田泰淳は生まれた、というようなことさえ言っています。果たして彼はその間をどう生き、何をどのように書いたのか?

 彼の思索や文体をちゃんとたどろうとするのなら、彼の書いたものをすべて、執筆順に読んでしていくのがよいのですが、105分×13回の授業期間で一応まとまったイメージを残す演習にしたかったので、ある程度精読の対象は絞りました。そのため重要なテクストのいくつかを割愛せざるを得ませんでした。以下は授業で精読したそのテクストのリストです。(*は後年に書かれたものだが、当時のことに触れているもの)

 

1935年

ユーモア雑誌『論語』について(「斯文」1月)

鐘敬文(「中国文学月報」第2号、4月)

新漢学論(「中国文学月報」9号、11月)

*謝氷螢事件(「中国文学」101号、1947年11月)

1936年

河北省実験区『定県』の文化(「中国文学月報」12号、3月)

疑古派か?社会史派か?(同16号、12月)               

1937年

昭和十一年における中国文壇の展望(「支那」1月)「鉄拐の顔」(「同仁」6月)

清末の風刺文学について(「同仁」1月)

影を売った男(『大魯迅全集』(改造社)月報2、3月)

竹内好魯迅』跋(1944年12月)

*L恐怖症(「L恐怖症患者の独白」)(「近代文学」9-10合併号)

袁中郎論(「中国文学月報」28号、7月)        

1938年

同人消息(「戦線の武田泰淳君より―増田渉宛」)(同41号、8月)        

土民の顔(同44号、11月)

戦地より(「文芸」11月)                

1940年

支那文化に関する手紙(「中国文学月報」58号、1月)

杭州の春のこと(「中国文学月報」59号、2月)

支那で考へたこと(「中国文学」第64号、8月)    

1941年

E女士の柳―米国留学中の胡適(「中国文学」68、1月)

梅蘭芳遊美記の馬鹿馬鹿しきこと(「中国文学」69号、2月)

小田嶽夫魯迅伝」(書評)(「中国文学」73号、6月) 

会へ行く路(「中国文学」75号、8月)                     

1942年

佐藤春夫支那雑記」(書評)(「中国文学」80号、1月)

玉[王黄]伝(「中国文学」81号、2月)        

座談会「大東亜文化建設の方図」(「揚子江」第5巻12号、12月)            

司馬遷』初版「自序」「後記」「結語」

司馬遷の精神―記録についてー(『新時代』、1946年6月)

1943年  

閃[金楽](「中国文学」終刊号、3月)           

中国と日本文芸(「文芸」7月号)

中国人と日本文芸(「国際文化」9月)

中国作家諸氏に(「新潮」10月)           

1944年

朱舜水の庭(「批評」I、11月)

 

 レポーターには以下の三項目を要求しました。

(1)各自担当部分の初出テクストをコピーあるいは撮影して、そのPDFファイルを、1週間前までに受講者全員に送信

(2)担当部分の書誌情報、内容紹介(要旨)、固有名詞等事項調査報告、コメントをまとめたレジュメを作成、前日までに受講者全員に送信

(3)レジュメの内容を1時間程度で口頭発表、終了後の質疑に応答

 レポーターは全部で8名、受講生は10名程度でした。レポーターの一人は、1年短期の留学生で日本語に自信がなかったため、中国語で発表してもらいました。

 期末レポートは、授業・調査中の小さな「発見」を小論文にしたものを提出してもらいました。「発見」がなければ面白くありません。まずは、自分の発見、驚き、感心を自分でちゃんと認識することが必要で、それを資料やエビデンスに基づいて一つのストーリー(物語)にまとめることです。論とは一つの物語ですから。ただしそれを確実な資料に基づいて構成するということが必要不可欠です。期末レポートはこれらが達成できていれば合格です。その「発見」が本当の発見、つまり、誰もこれまで指摘していなかったことで、しかも、様々な問題につながっていくような発展性、奥行きを持つものだったら、膨らませて、学術論文として公開できるようになります。