北京社会文化研修2019(東大LAP=リベラル・アーツ・プログラム)

 2019年9月8日から15日まで、学生8名を連れて1週間の海外研修(北京)を行いました。

しかし、ただの海外研修ではありません。

 重要なポイントは2つあります。

(1)日本語を使わず中国語で1週間を過ごす。

なので、かなり中国語スキルがないと困ります。応募者9名すべてに応募書類の提出と面接を課し、面接では、上級レベルの中国語(HSKの最高級6級)があるかをチェックしました。ただし、HSK5級レベルであっても、モチベーションが高ければ、飛躍的にレベルアップすることも期待して、合格としました。

(2)大学の枠を飛び出して、北京社会の社会組織文化組織の中に飛び込む。

単なる語学研修ではなく、北京社会で現実に活動している組織に赴いて、質疑応答などを通して交流をはかるプログラムです。社交的なスキルを身につけるだけではなく、中国北京社会に対する風通しの良い理解を得、刮目すべき人格に触れ、中国の社会と文化に対する経験値を一気に高めたいと考えています。

 

以下のような日程で活動を行いました。

9月8日(日)日本出発・北京到着 自由行動 歓迎会(京劇の往年の名優同席)

9月9日(月)Panasonic博物館(松下幸之助記念館)北京大学芸術学院 学生発表会、座談会、昆曲講義(講師:蔡正仁、張静嫻)

9月10日(火)人民中国雑誌社(王衆一編集長)中華文化学院(社会主義学院)

9月11日(水)中国人民大学文学院・歓迎式 映画論入門(講師:陳濤) 国家博物館見学

9月12日(木)人民大学講義聴講(中国古代作家研究、西洋古典文芸理論)学生交流

9月13日(金)(旧暦8月15日、中秋節)石景山区・法海寺壁画参観 北京歴史文化講座

京西五里坨民俗陳列館、月餅作成体験 書道講座 中秋晩宴(屋外で京劇観劇)

9月14日(土)文化・アートを中心とした複合的文化商業施設 講座(紅楼夢人物談)

中国世界平和基金会訪問 華道講座 中秋晩会(詩の朗読、京劇歌唱、伝統楽器演奏等)

9月15日(日)自由行動 北京出発・日本帰国

 

 1週間。研修期間として、短いとも言えるし、長いとも言えます。中国語のスキルをはっきりと伸ばすためには全然時間が足りませんが、北京社会をちょっと体験するだけなら十分すぎるくらいの時間と言えます。1週間という期間がなかなか絶妙だったと思います。

 東大の学生と中国人民大学文学院の学生との間の交流もこの研修の重要な一コマですが、他の多くの国際研修と大きく異なるこの研修の特徴は、やはり、大学を離れ、北京社会の中の様々な社会組織の中に飛び込んで行き、東大で学んだ中国語を使って交流するという点にあると言えましょう(「人民中国」社では日本語での交流となりましたが)。中国語スキルが十分でない参加者は冷や汗をかいたことでしょうが、かといって、そのために言葉に詰まって交流が成り立たなくなるということはなく、全員が粘り強くその場その場の交流を成立させました。8人の参加者の間の空気も傍目で見た限りでは和気あいあいといった感じで、引率者としては嬉しい限りでした。

 私たちは、研修三日目の9月10日(火)の午後、北京の中心部の建国門外にある国能中電(国能中電能源集団有限責任公司)という、環境保護活動をビジネスにしている巨大な営利企業を訪れました。(http://www.cpcepgroup.com/index.php?siteid=1)。中国で非常によく知られた青年実業家である白雲峰董事長兼CEOとその他数名の社員が、瀟洒な本社の建物の一室に私たちを出迎えてくれました。交流会が終わった後の夕食会で、私の隣に座った会社ナンバー2の技術畑の方(名刺がもらえず、名前を失念)が、私はあまり日本人と付き合ったことがないが、と断ったうえで、日本人は中国人と同じ東洋人なので「人情」がわかっている、と話しかけてくれました。

 どういうことかと言えば、以前アメリカのスタンフォード大学の学生たちが私たちと同じように訪問した際、スタンフォード大の学生たちは、会社の広報ビデオを見て、国能中電を批判するばかりで、結局ずっとスタッフと学生たちの間で喧嘩腰の論争になってしまったとのことでした。そんなスタンフォード大生は「人情」を理解しないのに対し、東大生は「人情」がわかる、ということなのです。非常に友好的に、ある意味褒めてもらったので、私はそのまま受け取ったのですが、このあたりにはいろいろ考えるべきこと、反省すべきことがあるように私は思いました。

 参加者の一人がそのビデオを見たあとで、中国の環境汚染について、自分が観たことのある西洋のあるメディアが作成したビデオとは、だいぶ伝えている内容が違う、と言ったところ、それまで非常に落ち着いた態度でテキパキと周到でエッジの効いた説明を私たちにしていた白雲峰董事長が、突然色を正して、「それは中国の醜悪化(“醜化中国”)」だと鋭い声を発しました。それでその参加者は疑問の追及を控え彼の言葉に慎重に耳を傾けることにしました。この態度は非常に良かったと思います。ただ、明らかに、このあたりにはセンシティブ(“敏感”)な問題が隠されており、その背後には、国際的で社会的かつ文化的な大問題が横たわっていることを感じさせました。私たち東大訪問団はこの場面に限らず、概ね、センシティブな問題になるべく触れないよう立ち回ったと言えるかもしれません。それを、会社ナンバー2の技術畑の方は、「人情がある」ということばでやさしく包んでくれたのではないでしょうか。そういう“人情”は昨今多用されるようになった「忖度」という日本語と通じるところがあります。

 “人情”を理解することも「忖度」することも、本来決して悪いことではありません。人の話に耳を傾け、人の気持に寄り添うことは、現代人にとって、むしろ必要な美徳とさえ言ってよいと思います。彼の言葉は言葉通り受け取っておきたいと私は考えるものです。しかし、もしかしたら、彼も、私たち東大訪問団との交流には、ある種の物足りなさを感じたのかもしれません。それをやんわりとああやって伝えてくれただけなのかもしれません。

 たった1週間の研修で最大限の収穫を得るために、当初、参加者には、それぞれの課題設定を要求しました。そのうえで、しかし、それに縛られずに、見聞きする北京の現状を、曇りのない眼で、柔らかく鋭い耳で、ありのまま、そのとおりに、受け取るようにしてほしいと伝えました。そのことは今でもまちがった指示だったとは思っていません。ただ、あくまでも団長としての私の自己批判として言うのですが、その場の空気を壊すことを恐れて、本当の相互理解に達するために必要な思い切りの良い踏み込みが、若干足りなかったように思います。それは勇気や大胆さだけの話ではなく、信頼関係を損なわないための、様々な語彙、表現技術、作法とセットの話です。信頼関係を壊してしまったら相互理解など土台無理な話なのですから。

 参加者にとって、今年の研修が記憶に残る極めて有意義な体験になったであろうことは、彼らが研修後に寄せてくれた文章を読むと、全く疑いようがありません。参加者は、もし機会と余裕があったら、これからでも、2019年9月の北京での見聞や出会った方々のことを思い起こして、インターネットで調査したり、書籍を読んだりして、自らの経験を立体的にそして広がりのあるものとして、再確認していってほしいと思います。東京大学・教養教育高度化機構(国際連携部門)に属するLAP(リベラル・アーツ・プログラム)としても、今後の活動に、今年度の北京社会文化研修の経験を是非活かしていきたいと思います。